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平草原バス専用道路竣工式 遊覧バス開始

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江津良坂田の鼻に大阪陸軍病院白浜臨時転地療養所が設けられることになり陸軍省が工費三十六万円を投 じて、三月より総面積一二、〇〇〇坪(海面埋立て一、五〇〇坪を含む)の整地と第一、第二病棟、温泉浴室その外諸種施設延一、七〇〇坪の建築にかかり十月二十五日竣エ、十一月十日湯崎各旅館に分宿療養中の白衣勇士を収容して本日同所娯楽室において陸相代理、石川中将臨席軍官民二百余名参列して、献納式、開所式を挙行、式後食堂で種々の余興あり賑わう。

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明光バスの泉都めぐり遊覧バスを泉都循環バスと攻称。(戦局苛烈遊覧などの文字は抹殺)

 

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明光バスの遊覧バス、今日からガソリン統制で千畳敷、三段壁、平草原廻りは廃止。来遊客には大いに歩いてもらうこととなる。

竹中一雄 作 詞 北木正義 作編曲

名勝解説 白濱湯崎泉都巡り

解説 久保田カナエ 歌  美保絢子

久保田カナエ

 空はさみどり 心も晴れて

  鴎うきうき 飛んでくる

 苦労しらゝの 浜ゆうのかげに

  花か銀河の 湯が招く

   アレ 湯が招く

「皆様、お待ち遠さま、泉都巡り遊覧バスでこざいます、こゝは名に負ふ歌枕、白良々の濱でこざいます」
   雪の色におなじ白良々の濱千鳥
      声さへ冴ゆる 曙の空

湯の香に明ける白良々の濱、夕日にはゆる緑の松、白砂青松のこの眺めこそまことに白濱のシンボルでございます。皆様これからさきが湯崎温泉でございます。牟漏の温泉と申して日本最古の温泉場 畏くも 斉明、天智、持統、文武四天皇の行幸仰いだ光栄の湯の街でこざいます。これより南、南へと変る景色は相馬灯、左山々右は海、一望万里はてしない太平洋でございます。

皆様、やがて参ります千畳敷や三段壁の風の日は轟く浪音岩打つ怒涛誠に壮絶無比でこざいます。

皆様、これからは本社専用道路バスは一路海抜百三十一米泉都の屋根平草原へと登ってまいります
向ふ海の涯に夢とかすんだ遠山は四国の姿でございます、右につゞいて紀伊の連山渺々と、向伏す麓香に匂ふ浦の濱木綿幾重とも知らぬ浪路に鳴く千鳥、長汀曲浦の旅の路、かの大塔の宮様が心を碎きなやまれし切目王子や日の岬、南部に至る熊野路のあかぬ眺めでこざいます。
皆様、真下の家並みは湯崎温泉場ございます、つゞく向ふは、白濱温泉場、白良濱、濱につゞいて鬱蒼と茂った森は昔斉明天皇御入湯の御時に船をつなぎ給ふたといふ、由緒も深い御船山三所神社でございます。
皆様バスは泉都最高峰平草原に参りました、こちらは明光バス直営の休憩所でございます。皆様見下す海は田邊湾万葉の室の江でございます。今から昔八百年源平二氏の合戦に熊野別当湛増が白と赤との鶏に勝負の程を占はせ、兵船二百堂々と源氏に味方し功名を立派にたてた物語り、今も闘鶏神社の名に残し語り伝へているのでございます。

海の彼方の家並みは安藤公の舊城下田邊町でこざいます。
昔語りの武蔵坊弁慶が誕生の伝説や名勝舊跡の数ある町でございます。
皆様こちらは陸軍療養所でございます。「国を護つた傷兵護れ」白衣の勇士に心からなる感謝をさゝげませう。

皆様こちらは先年今上陛下御臨幸遊ばされた京都帝大臨海実験所、後の山は徳川時代黒船を見張つたといふ番所山でございます。
向ふに浮ぶ絵の様なあの岩は有名な円月島、眼鏡岩とも申します、皆様次は白濱温泉駅これで泉都巡りはすみました。

湯の香につゝまれた白濱、湯崎の旅心地、大海原を見はるかす千畳敷の壮観や平草原白良々の濱の御遊覧、さぞかしお心に召した事と存じます、それにつけても四季折々の海と山、当温泉をお忘れなく又のお遊びを心からお待ち申して居ります。

終りに皆様の御健康を謹んで御祈り申します。

 浪は千畳の 三段壁に

  かけた夕の 虹の橋

 渡りや鉛山 黄金の色に

  星か 出湯の 灯が招く

   アレ 灯が招く

帝国蓄音機株式会社発行 MADE IN JAPAN
注1、旧字で、ない文字は当用漢字を用いた。
注2、原文を損なわないようにした。
注3、写真などは省略した。

新白浜小唄 竹中かづを 昭和14年8月

白浜

空はさみどり 心も晴れて

鴎うきうき 飛んでくる

苦労しらずの 浜ゆうのかげに

花か 銀河の湯が招く

アレ 湯が招く

湯崎

波は千畳、三段壁に

かけた夕べの虹の橋

渡りや鉛山 黄金の色に

星か 出湯の灯が招く

アレ 灯が招く