大津波犠牲者供養塔

 綱不知地蔵堂

 上部に「南無阿弥陀仏」と記して塔名を記しただけであるが、裏面に昭和三十五年五月二十四日早朝チリ地震津波の時の潮位線を記しているのはよい記録である。これは昭和二十一年十二月二十一日午前四時の南海地震の時の犠牲者二十一のために、チリ地震津波の翌年同月同日に建てたもので、地蔵内には岩城兵八氏が記した「東白浜地区災害記録」と「後世に残す重要なる警告文」とが額に入れて掲げている。大きい碑の台石前面が広い空白となっているのに、何故そこへ右の警告文でも刻んで置かなかったのかと惜しまれる。警告文は次の通り。

一、潮の退路たる畠島と塚田鼻の海峡は永久に現状を維持し、人工的施設等によりその間隔を縮小すべからず。万一この縮小したる場合、一朝津波の来襲せんか、東白浜地区は勿論、御幸通りを経て浜通りは予期せざる莫大なる被害を被る事明白なり。

ニ、町の向上と発展は双手を上げて期待歓迎するも、津浪という

  宿命的地域なるが故に、避難に支障なく道路施設を充分考慮 し、万一の場合遺憾ならん事を望む。

三、地震の直後、海中鳴動は、津浪来襲の前兆なり。

四、上空の暗紅色は地震津浪の時にのみ見る現象なり。

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