羽衣橋(飯台橋 ともいう)と飯台(はんだい)海峡

 漁船の避難港である綱不知や古賀浦に、台風6号による避難している漁船の写真を撮影するため、デジカメ持参で、アチラコチラ、羽衣半島の羽衣橋(飯台橋 ともいう)にて、「はんだい海峡」と刻まれた青みかがった小さな銅版に気がつき撮影した。

  「羽衣橋」と「はんだい海峡」           Photo/2004-06-19

昭和5年2月13日、本店所在地大阪で瀬戸鉛山温泉株式会社(後の紀伊白浜温泉土地株式会社)設立

昭和5年7月に本店所在地を瀬戸鉛山村小ヶ浦に移転

昭和6年に温泉湧出、古賀温泉と名づける

 (古賀の名前は会社がつけた温泉名及び通称地名で、小ヶ浦を古賀浦としたものと思われる。)

昭和6年、7年、8年にかけて埋立申請と許可、埋立、そして道路工事と繰り返し、東海岸から始めた工事は、8年の末には北海岸の道路工事終了。

  開発前と思われる映像  昭和5年頃  昭和8年頃   昭和9年頃

昭和9年5月に離れ島になっていた先端の判台地区に橋梁を申請し、架橋した。

この橋は羽衣橋といい、大阪の心斎橋を模した優雅な橋だった。

この橋の下に有名な鯨の化石がある。

昭和14年末に西海岸が道路工事完成し、約8年を要して、半島一周道路工事が完成した。                           参考文献 白浜町誌 羽衣町内会創立五十周年記念誌


 前文略、町企画観光課が実測したところ、海峡の長さ約13b、最も狭い幅は古賀浦橋の下で9bだった。海峡は幅9bしかないが、干渉時でも潮の流れは途絶えることがないという。後文略。

 参考文献 紀伊民報 2005年4月23日 第18731号