昭和 7(1932)年には、千畳敷の裸婦がある事は確実です。

 上の写真は、それから何年か経へているのでしょう。

 風化 が進んでいますし、裸婦の上に名前が彫刻されています。

 千畳敷の横地の沖に大きな岩があり、その沖が瀬になっているのでしょう白く波が騒いでいます。

 現在(平成14年5月17日)、このような風景を見る事が出来ません。

 この写真を掲載した理由がもう一つあります。

 向かいの磯で釣りをしている写真ですが、この写真を見るまでは考えられなかった 。

 又、大正11年「湯崎の舟遊び」にも「芝雲石を過ぎれば海中二島あり」と記載され、疑問に思っていたが、これで理解できました。

 この小島は南海震災(昭和21年12月21日)で無くなったと言い伝えられています。

 この裸婦の撮影年は不明です。