この写真で何が読取れるか。何もない白良浜です。

 白良浜の写真、拡大すると以下が見えます。リンク入ていますのでクリックして下さい 。

 人が二人見えますし、道は広くなっているのが解ります。

 銀砂湯が噴出しています。

 銀砂湯のパイプが見えるが、全体の写真から引き湯のポンプは見えません。このポンプは縮小しても砂の上に小さく黒く見えます。

 右に黒いのが見えるが、人かは疑問で、次に鳥居と思ったが違いです。

 鳥居工事中とも思いましたが、高さがありません。露天風呂の「みのわの湯」かも知れませんが確認できません。

 h-14-06-26、鳥居ではないと判断します。10年4月29日にこの場所附近に熊野三所神社の鳥居が完成します。それまでの風景。

 昭和4年新築の白良荘と思われる が、この建物は白良荘とは確認できません。建物の高さが疑問なのです。錦城館かも。

 これは昭和10年8月完成の明光本社の方向ですが、建物は昭和5年完成の錦城館旅館のように見えますが、建物すごく似ていますが松によって、錦城館とは無理があります。 又、明光本社はこの建物の後ろで見えないと思います。

 如何でしたか、色々な事が見えます。しかし、これだけ見えたにも関わらず、年代が解りません。しかし、銀砂湯の引湯と熊野三所神社の鳥居がない事で、大正11年から昭和10年迄である事が、お解かり頂けると思うが、如何かな。

 しかし、これでは面白くない。温泉の噴出を調べる。銀砂湯、昭和3年3月10日増掘で1月24日湧出と公表されています。最後の詰めですが、再度の資料参照、砂湯が(写真のような)噴出がされたのは、この昭和4年1月24日以降である事、もう一度、この表の昭和4年1月24日をご覧下さい。「この時から噴出とは、 上の写真のような噴出です。」

 この写真の風景は昭和4年1月24日から昭和10年4月29日の熊野三所神社裏の鳥居迄と大体の見当がつきますが、まだ疑問があります。小澤湯ですが昭和3年9月に湧出しています。温泉櫓が普通はありますが、この写真にはありません。 昭和5年11月12日午前9時各温泉分析されていて、昭和10年度の村勢一覧に記載有、昭和16年7月各温泉井現状調査では小澤湯の記載がありません。(白濱湯崎の諸文献、Hpの参考文献参照)

これでは解りません。今度は露天風呂「みのわの湯」、「昭和3年4月21日完成で、昭和16年6月7日修復して本日より引湯して開放」と記載(村の日記、Hp参考文献参照)。

 小澤湯の余り湯で「みのわの湯」完成して、小澤湯が無くなって、昭和16年に「引湯して」とは理解できますが、この写真の風景の年代、資料にはなりませんでした。

 もう、これ以上調べる事は出来ません。よって各年代にはリンクできなかったので、年代が解るまで、ここで研究。 この写真は文字が左で、戦後、物資不足の時に過去の写真を使用して絵葉書を作成した可能性が非常に高い。苦労がわかります。

 h-14-06-26-結論、t昭和10年頃写真の二枚を参考にして、また新旧の銀砂湯の状況など、総合的に判断して昭和9年末から昭和10年4月29日間での風景と判断します。