昭和8年7月9日〜10日、西川義方博士、武田吾一博士來泉

 崎の湯  其二(落成式)(紀南の温泉 昭和九年六月)

 湯崎温泉の湯の竣工式は、五月十日午後三時から挙行、同五時から酒井家旅館で披露宴を催し、大江村長の挨拶、毛利田邊町助役の答辞、喜多湊町運輸事務所営業主任、武田工学博士の祝辞あり、開宴したが、武田博士をはじめ鉄道当局、阪和関係、村政関係、旅館協関係等の有志百余名の出席あり、盛会であつた。

 崎の湯  其三(建築の様式に就いて)(紀南の温泉 昭和九年六月)

 湯崎温泉の崎の湯の新築は、京大教授武田吾一博士の設計に成るが、 崎の湯落成式(別項)の席上、同博士のこゝろみられた談話のうちに、同建物に関して下の説明談があつた。

 ◎崎の湯の建築については、日本建築の古いものを調べているのでこゝの歴史を思ひ出させるやうなものを造らうと考へ、一つの案をたてたのであつた。しかし、こゝは夏になると土用浪がはげしく、毎年二回や三回は激浪に見舞はれるといふから、更に風浪に堪へるやうな建物で、昔の思ひ出にもなるものをと、いろいろの事情を考慮にいれて設計した。アレ(崎の湯の建物)は普通であればモツと軒を高くせねばならぬが、軒を低くし柱を太くしているのは、それらのためである。モ一つは浴槽から海が見えるのが特長であるから脚下をあげねばならぬ、すると建物が弱くなるのでアヽいふ風にした。さらに男湯と女湯の問題であるが、これは県の浴場取締規則があつて、それに準據しかつ県の諒解を得て、あゝいふ風にしたのである。

 ◎アノ建物の型は、時代でいへば鎌倉期の観音像の型である。このお湯に入る人は観音さまの御利益を蒙るといふ宗教的の意味もある。建物の中へ観音さまを御祀りして、その下からお湯が湧き出ていると、一層よく宗教的の効果があるだるう。これは西川義方博士も賛成していられる。

◎建物に使つているのは木曾御料林の檜で、白くて綺麗な木であるが、そのまゝでは汚されやすいので、わざとあゝした色に塗つたのである。また今までは灯がなかつたが、こんどは電灯をとつたがその場所と様式に注意した云々。