綱不知地蔵                     Photo/2005-10-16

 伝承として、昔、上方(大坂)の方へ船で運ばれる途中、遭難に遭い綱不知の地に陸上げされた地蔵さんを安置するため地蔵堂を建立し、以来、地下のお地蔵さんとして祭られたのが始まりとされ、綱不知の北向き地蔵とも呼ばれるこのお地裁さんは、厚さ9cmの盤状蓮華台に座したお姿で白毫、目鼻立もはっきりし、口元は優しく、耳も衆生の願いをよくお聞きになるために、ふくよかで右手に錫杖、左手には宝珠を持ち、柄衣の線も明りょうである。堂内には地蔵縁起としてこのお地蔵さんについて次のように書かれている。

 ……前略……当地蔵菩薩は往古、吾等の祖先が此の綱不知(当時かざなぎの浦) に安住を求めて以来凡そ一千年の昔し、遠く隠岐の国より、はるばる御尊霊を御移しになり、ロ熊野当時かぎなぎの里に安置祭礼され、衆生済護の御霊験あらたかに善根を授け給うなり、永く哀愍納受し給わん事を祈念し奉る。

 地蔵堂は昭和五十年(一九七五)五月十八日に落慶式を挙げ境内も整備され、毎月二十三日に観音講の人々により念仏が唱えられ、信仰もあつく堂内には香華の香りがただよっている。

 境内

 大津波犠牲者供養塔

 徳本上人名号碑   徳本上人講中碑