文殊堂           三段壁              Photo/2005-10-27

昭和5年頃の魯山和尚と甥

魯山和尚自画の達磨像

  もと湯崎の千畳にあったが、今は三段にある。そばの石碑には、表面に「文殊堂 魯山和尚開基」とあり、裏面に、「本尊文殊菩薩は、そのかみ中国大陸よりの渡来と伝えられ、開祖魯山和尚の帰依厚く、昭和初年景勝の当地に勧請せしなり。一堂を建立す。和尚没後無辺の功徳を信じ有志一同この碑を建て供養す。」 とあるように、朝来村円鏡寺第十四世堀魯山が、昭和二年(一九二七)に隠居後湯崎千畳を老後の地と定め、昭和五年(一九三〇)に草創したもので、翌六年九月京都金閣寺の伊藤敬宗(北富田村大字庄川出身)を導師に請うて安座式を挙げた(雑賀貞次郎霜『白浜湯崎の諸文献』にその際の祝香の偈が収録されている)。
 この本尊の文殊菩薩像は大正四年(一九一五)四月ごろ、朝来村出身の橋本高三郎(昭和二十一年十一月没)が中国から土産として持ち帰り、菩提寺の円鏡寺魯山へ寄進されたものと伝えられる。魯山は昭和十九年(一九四四)六月九日七四歳で示寂したが、篤信の有志たちによって、昭和三十八年(一九六三)九月現在地に遷されたものである。

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