海賊を退治之事

              (小山海賊を退治之事) 参考文献安宅一乱記参照  頁146〜147

同廿五日、瀬戸綱知良津に海賊有て、入津出帆の小船、又ハ夜に入て、民家へ踊り込、金銀、米穀、着類其外諸道具等を奪ひ取、万民を悩マす、依而森が一族是を聞付ヶ、三味入道隋兵三拾人懸ヶ向ひし処、海賊の頭取巌明と言大力有けるが、真先に進で森が勢 ニ討て懸る、森が兵拾人討れ、賊強くして防キがたく其旨安宅へ注進す、依而森三五郎討手に可向、と評議有し処、田井肥前が勢の久木春次が子、小山太郎進出て、細川に向ふて申けるハ、某が先祖小山岩見幸径と申者、先年北条家の下知に依而南方の海賊押へとして瀬戸崎を堅メ誅せし例も有り、此討手にハ某に被仰付候へ、 と思ひ入て申ける、右馬頭実もとや思しけん、榎本形部大輔に談して小山太郎を瀬戸へ向られけり、同日小山太郎一族若党三拾人を具し瀬戸へ着しかば、一ノ瀬の城より山本が一族之内、兵三拾人勝て被附けり、

明レハ廿六日卯ノ刻、小山太郎瀬戸崎へ人数を出し、浦の射を望ミ見れハ、海賊共小船を弐拾余艘漕並へ、時々射手を出し、折を窺ひ陸へ懸上り森が勢に打て懸る、暫し間戦ひしが、森が兵弐拾余人深手を負ひ防キ兼て居たりける処、小山太郎、山本が勢と一手に成て江津良浜を切て懸る、海賊共前後の勢に責立られ、既に船に乗んとせし処、小山太郎謀を廻らし、人数を分て海辺へ廻し、海賊共の船不残沖へ乗出し、水主共を切殺しけり、賊の大将巌明ハ小道具に身を堅メ、其勢五、六拾人隋へ、小山太郎に打て懸る、小山心得、六拾余人弐手 ニ分ヶて前後の取巻キ防戦ひけり、三味入道大音に、賊、早弱ハて見へるぞ、打て取レ、と横鑓に突て懸りけり、賊ハ一支へも支へず瀬戸崎の方に退キしが、小山が謀ニ而賊の船共一艘もなかりけれハ、賊共退く方なく取て返し討死す、賊の頭取巌明ハ寄手の大将小山太郎に切て懸る、太郎元来心早き大力にて、巌明が打ツ太刀を打落しけれハ其儘太郎に引組揉合しが、太郎が郎等後に懸付、巌明が両足かけて打落す、主従折重て首を取、其外の賊共百余人、森、山本、小山の輩此彼にて討取けり、小山瀬戸崎の海賊悉ク平ゲ、安宅へ来て此趣を申上けれハ、両執事是を感して、其功に依而富田庄川奥、蛇喰の要害を被預ヶ、扨又、久木の庄ハ代々累代の領所成けれハ、其庄八王子山の要害をも小山に給りける、小山一族の人々悦事限りなし、

綱知良津は白浜町東白浜字綱不知

蛇喰の要害は上富田町と白浜町の境の山頂の城

八王子山の要害は日置川町久木にあり、代々小山氏の持城。

個人的解説